あけましておめでとうございます。大晦日と元旦は実家で過ごしました。日中は妹夫婦の子どもたちたくさん話すことができました。
(子どもたちと初詣に行った、実家近くの鷲神社。)
母は82歳でまだまだボランティアなどやっていて身の回りのことは全て自分でこなし、元気なのですが、少しずつ活動の整理をしているようです。
父が亡くなってから30年、娘たちは近くに住まわせ、お一人様を貫いてきた母。母の理想の生き方になっているでしょう。
歳を重ねて頑固になってきた母。急に思い詰めたようになる時もあるけれど、それも家族でそっと受け止めて、日々、穏やかに楽しく過ごせるようにできればと思います。
(鍋つかみをなくしたというので、昨晩帰ってから作ってみました。)
今回良かったのは、妹夫婦がそんな母と近くに暮らしながら、ちょっと食い違い辛かった時、ちょうど私がやってきたそうです。彼女たちの生活の中にいない私は、ある意味いい加減のカンフル剤なのでしょう。
話す中で、家の中でも職場でも世の中ではいろいろな人がいて、あの人はこうだからいなくなってほしいとかいうと、その人は職場の中を堂々巡りになるだけで、しんどいのは変わらない。それより、その人を追いやってしまうことが問題ではないかと。どう受け止めて、どう一緒にやっていけるのか、考えることが大事なのだとお互いのベクトルを同じ方向に向けることができました。
このところ好きな言葉「寛容」。父方の祖母が104歳で亡くなりましたが、まさに寛容な生き方をしてきた人でした。
祖父が仕事を早期リタイアしたあと、代わりに仕事に出て家を支えてました。
祖父は明治生まれで優しい人でしたが、気難しいところもあり、とても頑固でした。食断ちをして人の世話にならぬと自分の最期を決めて逝ってしまった。そんな時そばにいだのが祖母です。泣きながらずっとそばにいたといいます。祖父のことを決して見離さず、受けてめてきた祖母。祖父を見送り、100歳まで地域の人と楽しみながら、一人暮らしをしていました。誰に対しても寛容だった気がします。
母がどれくらい長生きできるかのかもありますが、自分があとどれくらい生きるのかわからないと病気をしてつくづく感じました。人に対して寛容に、日々を大切に楽しく過ごしたいと思います。
近くに住む妹夫婦の負担にならない程度に、実家に顔を出すようにして、母の家の整理を母と一緒にしようかと思います。
仕事もやりたいようにやらせていただきます。私の今やっていて嬉しいことは、若い人のサポートができることです。足手まといにならないよう、日々皆が気持ちよく過ごせるようにしていきたいです。
さて、妹の子どもたちと行った初詣で引いたおみくじ、久しぶりの大吉でした。どうか世界中のみなさまにとっても良い年になりますように。
(狛犬と妹家のちんの花子)